我が家でのサンクスギビング2013

  • 2013.11.28 Thursday
  • 23:38
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今年もやって来たサンクスギビング。アメリカでは、宗教を問わず誰もが祝う大事な祝祭日である。ちなみにクリスマスはキリスト教徒以外はほとんど祝わない。子供がいるうちなどではクリスマスツリーを飾ったりするが、ユダヤ教徒は何もしないので、クリスマスの日には他にすることがなく、みんな映画館に行ったり、なぜか唯一開いている中華料理屋に行ったりするそうだ。

大学もこの週は授業は水曜日まで。授業が終わるとほとんどのアメリカ人学生は実家に帰ってしまう。寮もほとんどは閉鎖される。私が学生で寮に住んでいたときは、外国人学生や、特別な事情があって帰省出来ない学生などは特別料金を払って寮にとどまったが、カフェテリアも閉まってしまうので、招待してくれる人がいなければ近所のファストフードなどでのわびしい食事になってしまったものだ。私は幸い、ホストファミリーや知り合いの家族などに招待してもらって、すくなくともサンクスギビング当日はなんとか大丈夫だった。独身で仕事をするようになってからも、大勢を招いてサンクスギビングパーティをやっている知り合いのところへ毎年行っていたので、寂しい思いはしないですんだ。こちらの人にとって、サンクスギビングは、家族が揃う大事な日だが、それだけに、身近に故郷や家族から遠く離れている独身者や、高齢者の夫婦などがいると、「この日を一人で過ごすなんて」と、皆気軽に招待することが多い。自分が今の人生で受け取っている色々なことを感謝する日なので、その分、恵まれない人への思いやりも大事だ、と考えられているのだ。この日のために食料品の買出しに行くついでに、地域のホームレスの人や生活保護を受けている人への食料品の寄付なども忘れない。

さて、これまでのサンクスギビングはほとんど、夫の実家に行っているが、2009年は夫の両親がボストンに来て、我が家で七面鳥を焼いた。初めてなのでずいぶん緊張したが、それまでも義母に作り方を教えてもらっていたので、何とか無事に出来て楽しかったのを覚えている。その頃は、夫の妹夫婦の義両親もまだ健在で、妹夫婦はお舅さん、お姑さんの方でサンクスギビングだった。そのどちらも数年前に亡くなり、今は妹夫婦、夫の両親、私たち夫婦の三組が集まるようになっている。

昨年は夫の両親が冬を過ごすフロリダの家でのサンクスギビングだった。最近は義母も年を取って身体が少し弱ってきたせいもあるのかもしれない。小さな台所で七面鳥を焼くのはイヤだ、ということで、当日はレストランでの食事となった。私と夫の妹が焼いても良かったのだけど、義母としてはたまには楽をしたかったのかもしれない。でもやっぱり、七面鳥を焼かないのはちょっとさびしかった。

なので、昨年に「来年はボストンで」と家族で決めてから、私はちょっと気持ち的には張り切っていた(笑)。前回は11月の初めに日本旅行をして、その疲れもたまっていたのでかなりしんどかったが、今回は11月に入ってから少しずつ家の大掃除もすませて、食料の買出しも日曜日から三回に分けたりして工夫したので、それほど負担がかからずに用意できたと思う。
 
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アメリカの消えない傷跡:ジョン・F・ケネディ大統領暗殺から50年

  • 2013.11.22 Friday
  • 12:03
JUGEMテーマ:歴史アメリカ生活

今日は日本では「いい夫婦の日」だそうだが、アメリカでは、現職中に暗殺されたジョン・F・ケネディがテキサスで暗殺された日である。今年で50年になるため、マスコミでは再び、この事件が取り上げられている。当時現場に居合わせた人々の証言やインタビューが紹介され、今年はケネディに関する本も次々に出版されているようだ。

あまりに不明なことが多く、開示されていない情報もたくさんあるようで、陰謀説も未だ絶えないこの暗殺事件であるが、20世紀のアメリカの歴史を振り返ってみると、この事件はアメリカがまだ生々しく覚えている傷跡の一つなのである。そして、未だに残るたくさんの謎は、きっと永遠に解けることがないのだろう。年月がたてばたつほど、その謎を解き明かすことは難しくなっていくのだから。だから、彼の死の謎はこれからも、いつまでも、話題になり続けるのだろうと思う。これからも色んな説が登場するだろうし、本も出版されるだろう。でも私たちは、おそらく永遠に真実を知ることはできないのだ。

だから、アメリカはこの暗殺事件を乗り越えることが出来ないのかもしれない。いつまでも謎であり続けるから、いわゆる「Closure」を迎えることが出来ないのだ。

若くて颯爽としたケネディ大統領。人気を誇り、弟2人も次々と政界デビューし、アーサー王の伝説になぞらえてケネディ一族は「キャメロット」とまで呼ばれるようになった。そのケネディ大統領が突然、テキサスでパレード中に狙撃されたこの事件。

テレビは突然臨時ニュースになり、当時のニュースキャスターだったウォルター・クロンカイトが沈痛な表情でケネディの死を伝える映像は今でも色々なところで観ることが出来る。

色々なアメリカ人と話すと、この日のインパクトの強さがよくわかる。皆、この日、どこにいて、何をしていて、どうやってケネディ大統領の死を知ったか、ということを鮮明に覚えているのだ。この事件は私が生まれる前だが、小学校一年生だった知人は、
「学校から帰宅すると母親が泣いていた」
と言う。

葬儀の時に、幼かった長男のジョン・ジュニアが敬礼をする姿が国民の涙を誘った。このジョン・ジュニアは政界には入らず、わずか38歳で、自ら操縦した小型飛行機が海に墜落し、妻と共に不慮の死を遂げる。

そして、今年、長女のキャロラインが駐日大使として日本に赴任した。

ケネディ一族はボストン出身である。ケネディ大統領はボストンの隣にあるブルックラインという静かな町の住宅街のつつましい二階建ての家で生まれた。父親はアイルランドから移民したジョセフ・ケネディ。禁酒法時代に酒の密輸でもうけたそうだが、かなり目先が利くビジネスマンだったそうで、フランクリン・ルーズベルト大統領に抜擢され、駐英大使までつとめた。母親は、ボストン市長だったジョン・フィッツジェラルドの娘。どちらもアイルランド系でカトリック教徒である。その後一家はケープ・コッドの入り口にあるハイアニスという町に引っ越す。今でもケネディ家の「本家」はここにある。

それまで大統領職についたのは、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)、つまりイギリス系でプロテスタント教徒だけだったので、アイルランド系でカトリック教徒、しかも史上最年少の大統領だったケネディは本当に特別な存在だった。

だから、アメリカにとってもそうなのだが、ボストンにとってケネディ大統領とその一族はさらに特別な人々なのだ。州議事堂の前にはケネディの銅像があり、マサチューセッツ州立大学ボストン校のキャンパス内には、ケネディ大統領図書館がある。ここでは、博物館があり、ケネディ大統領の生涯とその功績をたどることが出来る。ジョン・ジュニアが亡くなった時も、彼はマサチューセッツ州の住民ではなかったが、たくさんの花束がこの大統領図書館の前に捧げられた。ボストンの人々にとっては、大統領の遺児であるジョン・ジュニアもまた、「ボストンの息子」だったのである。

今日はアメリカではたくさんの人が当時を思い出して、ケネディ大統領の冥福を祈ることだろう。

今、Ylvisが面白い

  • 2013.11.20 Wednesday
  • 00:00
数週間前に、音楽教室で教えている中学生女子の室内楽グループに、こんなYoutubeビデオの存在を教えてもらった。アメリカの子供や10代の若者の間でかなり話題になっていたようだ。子供番組でも紹介されたし、小学校二年生の男子生徒にも、この曲をピアノで弾いてみたい、と言われた(笑)。

英語で歌っているが、ノルウェーのグループ、しかもコメディアンの兄弟らしい。
タイトルは「キツネはなんて鳴くの?」という意味で、一番ではいろんな動物の鳴き声を紹介するのだが、音楽はなかなかリリカルなメロディーで、しかもこの兄弟、歌がめちゃめちゃ上手い!そこから「でもキツネの鳴き声は誰も知らない」となって、そこからいきなりクレイジーになる(笑)。

非常にダンサブルな曲で、何度か聴くと、いつの間にか自分も口ずさんでいるから油断できない(笑)。これがかなり流行ったのだ。

へえ、面白いねえ、と思っていたら、なんとそのすぐ翌日、彼らが発表した「新曲」が私のフェースブックのタイムラインで話題になった。それはなぜかと言うと、新しい曲のタイトルがなんと、「Massachusets」だったのだ!(笑)

さっそく彼らのYouTubeオフィシャルチャンネルでビデオを観る。

 
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読書レビュー:ロシアの啓蒙専制君主エカテリーナ二世の伝記

  • 2013.11.18 Monday
  • 23:52
JUGEMテーマ:読書

私はヨーロッパの歴史にそれほど詳しくない。歴史は好きなのだが、高校時代の世界史の授業があまりにもつまらなかったため、一応授業でやったはずなのに、とにかく何も覚えていないのだ。小学生の時に好きだった漫画「ベルサイユのばら」のおかげで、フランス革命の経緯はある程度知っているし、最近になって、歴史ドラマが好きになったので、イギリス史のあちこちをちょっとかじったりしているが、知識はきわめて乏しく、ヨーロッパ全体のちゃんとした歴史を把握していない。ロシアの歴史も正直あまりよく知らず、ピョートル大帝や、ロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ二世と並んでかろうじて彼女の名前を知っていた、という程度。

そんな中でこの本を読もうと思ったのは、この本が数年前、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーになったからだ。ちなみに、エカテリーナ大帝の伝記としては、アンリ・トロワイヤのものが有名らしいが、当然そちらも未読である。

実はエカチェリーナ二世に関しては、永井路子さんの名シリーズ、「歴史を騒がせた女たち」で読んだことがあるのである。そこでは、彼女の結婚のいきさつ、その後彼女がどのように帝位についたかということ、啓蒙君主であったこと(晩年に姿勢転換したことも含めて)、そして、ロシアに当時漂着した大黒屋光太夫を謁見したということが書かれていた。

で、事前知識はそれだけ(笑)。

そして読み始めたこの長編伝記。何ヶ月もかけて、他の本を色々読む傍ら、ゆっくりと読んだ。

エカテリーナ大帝の生涯の要約はこちらを読んでもらう方が早いので、ここには書かないが、彼女の生涯だけでなく、当時のロシア、そしてそれを取り巻くプロイセン、スウェーデン、トルコ、フランス、ポーランドなどなど、ヨーロッパ諸国の色々な事情が描かれており、18世紀後半のヨーロッパ史の一部を学ぶことも出来た。それほど私情を挟まず、比較的淡々とした文体の伝記ではあるが、彼女の若い頃の苦労もこと細かに描かれていた。。

先帝であり、姑でもあるエリザベートが崩御し、やがて夫のピョートルに対してクーデターを起こして自ら女帝となるまでの彼女の人生はまさに「おしん時代」。その後、彼女がロシアという大国のかじを取っていく様子は、もちろん完璧ではないが、特に若い頃の啓蒙君主ぶりには目覚しいものがある。

その一方、公然と若い愛人を作り、しかもとっかえひっかえ(ひそかに結婚したといわれているポチョムキンは特別の存在だったようだが)、とまるでこの辺りは男性のような傑物ぶりも見せる。

とにかく内容が膨大だったので、何が一番印象に残ったか、と言われても短くまとめるのが難しいのだが、とにかく非凡な人であったことは間違いないと思う。天性のものなのか、女帝即位までの苦労によってはぐくまれた資質なのか。それと同時に、愛情を求めていた人であったことも確かなようで、愛人たちや信頼する友人などに書いた手紙の端々に、それが見て取れるし、本人もそれを自覚していたようだ。

この本の日本語訳はまだ出ていないのだが、非常によく書かれた伝記なので、ロシアや18世紀のヨーロッパに興味がある人にはお勧め。

冬とiPhone5Sの到着

  • 2013.11.10 Sunday
  • 08:37
11月も中旬に入り、早朝の気温が氷点下、ということも珍しくなくなった。こうなると、初雪がいつ降ってもおかしくない。11月のボストンは、そうかと思うと、汗ばむほど暖かい、インディアンサマーも日もあり、気温の昇降が激しいので、体調に気を配る必要がある。

そんな中、新しいiPhoneが我が家にもやってきた。夫婦揃っての買い替えだ。私は今までiPhone4、夫は4Sだったので、けっこう久しぶりの機種変更だ。私は5Sのゴールド、夫はおなじく5Sでスペースグレイ。容量は2人とも64GB。私は最近、今までの32GBでは、使うアプリと音楽を全部入れることができなくなっていたので、これでまた余裕が出来た。

今まで、アメリカでiPhoneを買う場合は、基本的に一括払いの購入しかオプションがなかったので、買うときはやはり、ある程度タイミングを考えて買っていた。しかし、今回は、我が家のキャリアで、アメリカでは最初にiPhoneを売り出したAT&Tで、携帯使用料金に上乗せ、という形での分割払いができるようになったのだ。分割だから、当然割高にはなるが、支払いが楽なのは事実。というわけで、じゃあ買い換えようか、と言い出したのは夫だった。

正直、私のiPhone4はさすがに、最近かなり動作が重たくなってきていて、前の二世代のiPhoneをスキップしたものの、もうこれ以上はしんどいかなあ、と思い始めていた矢先だった。

注文したのは10月28日。夫のスペースグレイはすぐ届くだろうけれど、私のゴールドはかなり待たされるだろうなあと覚悟はしていた。注文確認のメールにも、配達予定は夫が11月初旬、私は12月の7日から14日くらい、とあった。

ところが、突然木曜日に二台同時発送完了のメールが届き、土曜日には我が家に届いたのである。ちょっと驚いた。まだたっぷり時間がある、と思ってケースも買っていなかったのに(笑)。

さっそくセットアップして使い始めたが、二世代飛び越えただけあって、使用感が大きく違う。電波も3GからLTEになったし、処理能力も格段に違うのがよくわかる。画面も綺麗だ。そして軽い。軽すぎて、落としてしまいそうな気がするほどだ(笑)。

今までカメラも暗いところでは、電球の下では綺麗に撮れなかったけれど、それもかなり違うのでありがたい。

とりあえず、あわてて透明ケースを注文した。比較的柔らかいものと、固いものを両方一つずつ。

最後におまけ。昨日はとても寒い日で、買い物に行くと木枯らしが吹き荒れていたので、あたたかいスープが食べたくなって、先日作ったCaldo Verdeをもう一度作ってみた。それにガーリックブレッドとクマトのシンプルな夕食。

もう一つおまけ。ミケは洗濯のときに使うカゴがお気に入りだ。マンションでうちのユニットの隣にあるランドリールームに行く時はいつも一緒についていって、空になった洗濯カゴの中に入る。そして夫がそのカゴを抱えてうちの部屋に戻ってくるのである。先日、このカゴにミケのお気に入りの毛布を入れてリビングに置いてやったら、早速この通り。
 
どうやら新しい洗濯カゴを買う必要がありそうだ(笑)。

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また、ボストンの観光などについて個別でご質問をいただくことがありますが、なかなか個別の質問にはお答えする時間がありません。申し訳ありませんが、ボストン関連の掲示板などで質問されることをお勧めします。リンクにボストン情報の掲示板のリンクがありますので、どうぞご利用くださいませ。

最後にこのブログに掲載されている写真、文章などすべての内容の転載は固くお断りします。どうかご遠慮ください。

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