お葬式と豚の丸焼きと
- 2013.09.29 Sunday
- 22:14
金曜日、電話がかかってきた。
9月のはじめに共演した若い男性オペラ歌手からである。彼は私が教えている音楽教室の卒業生で、音大に進み、現在はオペラだけでなく、ミュージカルでも着実にキャリアを重ねている新進気鋭の歌手だ。高校生のときからその才能は明らかで、彼の当時の先生である同僚からよく彼の話は聞いていた。音楽教室のイベントで彼が歌ったときに伴奏したのだが、その時彼の祖母の体調が良くないと聞いていた。
その祖母が亡くなり、土曜日に教会で告別式が行われることになっていたのだが、教会のオルガニスト兼ピアニストが、彼が歌う曲が難しくて伴奏できない、と前日の金曜日になって急に断ってきたのだそうだ。楽譜は火曜日に既に渡してあったとのこと。困りきって、私に電話してきたのだった。前日にいきなりドタキャンするとは、あまりプロらしいとは言えないが、教会でピアノやオルガンをミサのために弾く仕事をしている人の中にはプロの訓練を受けていない人も少なくないので、そういうタイプの人なのだろう。なんにしても、身内を亡くしてただでさえ辛い思いをしている彼にとって、急に伴奏者を探さなければならなくなったことは余計なストレスであり、気の毒だった。役に立てて何よりだと思い、引き受けた。
歌うのは三曲ということで、とりあえずその日、私が音楽教室でレッスンを終えた時間に来てもらってさっとリハーサルをした。
そして土曜日。今までユダヤ教やプロテスタントの告別式には出席したことがあるが、カトリック教会の告別式ははじめてだった。それほど形式に違いはないようだ。
アメリカで何度かこういう場に行き、一番驚いたのは、今のアメリカでは喪服という概念がほとんどなさそうに見えることだ。黒い服を着てくる女性はほとんどいない。私は今回仕事だったので地味な黒い服を着て、アクセサリーなどもほぼなく、控えめにして行ったが、出席していた女性はほとんどが、普通の教会のミサに来るような、普段よりややお洒落な服装で来ていた。男性の多くも普通のスーツか、チノパンにドレスシャツ。遺族の方たちも黒は着ていなかった。
それほど長い式ではなく、1時間弱くらいで終了した。彼の歌も素晴らしく、告別式という状況にもかかわらず、参列者の間から拍手が起こったのもアメリカらしい、と言えるかもしれない。孫の一人である女性の弔辞も明るいものだった。
こちらのお葬式は故人の死を悼むというより、その人生をたたえる、という風情が強い。突然非業の死を遂げた場合だと涙する人も多いが、今回は長生きされた方で、最後は具合が悪かったとは言え、たくさんの子供や孫に囲まれて、安らかに逝かれたとのことで、ご遺族の方たちも天寿を全うしたという気持ちが強かったようだった。
この日の夕方は一変して夫の友人宅のパーティに行った。
9月のはじめに共演した若い男性オペラ歌手からである。彼は私が教えている音楽教室の卒業生で、音大に進み、現在はオペラだけでなく、ミュージカルでも着実にキャリアを重ねている新進気鋭の歌手だ。高校生のときからその才能は明らかで、彼の当時の先生である同僚からよく彼の話は聞いていた。音楽教室のイベントで彼が歌ったときに伴奏したのだが、その時彼の祖母の体調が良くないと聞いていた。
その祖母が亡くなり、土曜日に教会で告別式が行われることになっていたのだが、教会のオルガニスト兼ピアニストが、彼が歌う曲が難しくて伴奏できない、と前日の金曜日になって急に断ってきたのだそうだ。楽譜は火曜日に既に渡してあったとのこと。困りきって、私に電話してきたのだった。前日にいきなりドタキャンするとは、あまりプロらしいとは言えないが、教会でピアノやオルガンをミサのために弾く仕事をしている人の中にはプロの訓練を受けていない人も少なくないので、そういうタイプの人なのだろう。なんにしても、身内を亡くしてただでさえ辛い思いをしている彼にとって、急に伴奏者を探さなければならなくなったことは余計なストレスであり、気の毒だった。役に立てて何よりだと思い、引き受けた。
歌うのは三曲ということで、とりあえずその日、私が音楽教室でレッスンを終えた時間に来てもらってさっとリハーサルをした。
そして土曜日。今までユダヤ教やプロテスタントの告別式には出席したことがあるが、カトリック教会の告別式ははじめてだった。それほど形式に違いはないようだ。
アメリカで何度かこういう場に行き、一番驚いたのは、今のアメリカでは喪服という概念がほとんどなさそうに見えることだ。黒い服を着てくる女性はほとんどいない。私は今回仕事だったので地味な黒い服を着て、アクセサリーなどもほぼなく、控えめにして行ったが、出席していた女性はほとんどが、普通の教会のミサに来るような、普段よりややお洒落な服装で来ていた。男性の多くも普通のスーツか、チノパンにドレスシャツ。遺族の方たちも黒は着ていなかった。
それほど長い式ではなく、1時間弱くらいで終了した。彼の歌も素晴らしく、告別式という状況にもかかわらず、参列者の間から拍手が起こったのもアメリカらしい、と言えるかもしれない。孫の一人である女性の弔辞も明るいものだった。
こちらのお葬式は故人の死を悼むというより、その人生をたたえる、という風情が強い。突然非業の死を遂げた場合だと涙する人も多いが、今回は長生きされた方で、最後は具合が悪かったとは言え、たくさんの子供や孫に囲まれて、安らかに逝かれたとのことで、ご遺族の方たちも天寿を全うしたという気持ちが強かったようだった。
この日の夕方は一変して夫の友人宅のパーティに行った。