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アメリカ生活 ・
クラシック音楽アメリカの大学院時代からずっと何年もお世話になっていたバイオリンの巨匠、エリック・ローゼンブリス(Eric Rosenblith)先生がこの12月15日に亡くなられた。享年90歳。
ローゼンブリス先生の思い出は尽きない。最初にお会いしたのは留学二年目のことである。先生のお弟子さんのリサイタルの伴奏をすることになり、半年近く、一緒にレッスンに通った。ベートーヴェンのバイオリンソナタの7番や、サラサーテのマラゲーニャなどで色々と教えていただいた。バイオリンだけでなく、伴奏しているピアノの生徒にも指導、助言を惜しまない人だったので、私もたくさん勉強させていただいたものである。
その後、学校を卒業してから4年間、私はローゼンブリス先生と、もう一人のチェロの先生が主催する夏の室内楽音楽祭に参加した。
高校生からプロまでがヴァーモントの自然の中で5週間を共にし、リハーサルやレッスン、マスタークラスを通して研鑽しあい、そして演奏会でその成果を披露するこのフェスティバルは私の人生を変えた。
もともと室内楽も伴奏も好きだったが、自分の本領はここにある、と気づいたのがこの音楽祭だったし、その後カンザスで勉強が続けられるよう、骨をおってくださった方に出会えたのもこの音楽祭だった。卒業後日本に帰ろうと思っていた私の気持ちはここで変わり、私はアメリカに残ることにしたのである。
その後、残ろうとした結果、つらいこともたくさんあったが、四年間私を支えたのは、
「一年間頑張ればあの音楽祭が私を待っている」
という思いだった。
たくさんのすばらしい先生方、そして音楽仲間たちと、外界からほぼ遮断された状態でヴァーモントの夏の自然に囲まれ、音楽だけに没頭できる五週間は、私にとって「楽園」だった。そして、そこでも、ローゼンブリス先生にたくさんコーチしていただいたものだ。
ご自身が優れた音楽家であり、ティボーやカール・フレッシュに師事した先生の音楽は豊富な体験と、深い芸術性に裏打ちされており、そして何よりも、音楽に対してたとえ一音も気を抜かない、張り詰めるような情熱が先生の音楽を貫いていた。
音楽祭でも、教えるだけでなく、自ら率先して演奏されたが、愛器のストラディバリと共に火の玉と化したかのようなその演奏振りは、いつも私たち、若い音楽家を圧倒した。
私がカンザスからボストンに戻ろうと決心したときも、先生に相談させていただいた。カンザスにも客員教授としてよくいらしていた先生に助けていただき、ボストンでもう一度学校を探し、先生の紹介で奨学金をいただいてなんとか合法滞在を続けることが出来たのである。
ボストンに戻ってきたときの私はほとんど無一文だった。そんな私に、ローゼンブリス先生は次々とご自分の生徒を紹介して、伴奏の仕事を与えてくださった。これがどれほどありがたかったことか・・・。
頑固な一面もお持ちだったが、普段はいつもにこやかで、フランス仕込みのマナーがエレガントな紳士でいらした。お会いすると必ず両頬にキスをしてくださったものだ。
1968年から私のボストンの母校で教え、2007年に引退。その間、20年以上に渡って、弦楽器科の主任も勤められた。常時30人以上の弟子がいて、今、大学で教えるようになってみると、それがいかにすごいことだったか、少しだけわかる。一分足りとも気を抜かず、毎日週六日間、夜10時まで教えていらした。教えることが生きがいで、インタビューでも
“I breathe, therefore I teach,”
(我呼吸す、ゆえに我教えるなり)
とおっしゃっていたそうだ。
ここ10年ほど、お会いする機会もなくなっていたが、まだまだ耳は遠くなったものの、お元気だとうかがっていた。突然のニュースに、フェースブックを見ていてもアメリカ全土、そして世界各地に散らばっている教え子たちのショックは大きい。
70歳を過ぎてもあれだけお元気な先生だったから、私たちは、先生ならきっと100歳を過ぎてもお元気で演奏したり教えたりしていらっしゃる、と勝手に思い込んでいたようだ・・・。
本当に皆のお父さんのような先生だった。バイオリンの生徒だけでなく、先生に薫陶を受けた音楽家は多い。私のようにピアノ弾きや、他の弦楽器でも、先生に室内楽を教えていただいた学生は多かっただろう。
音楽祭のカフェテリアでテーブルを囲みながら先生のお話をうかがったことも忘れがたい。第二次大戦中、兵隊だった先生は、郵便物を配る係りだった。この仕事は昼食中に行われる。兵士が食堂に集まる唯一の時間だからだ。だから急いで配って、急いで食べないと、昼食を食べ損ねてしまう。それ以来、早食いになった、と先生は笑っておられた。
実際、先生が食べる速度は信じられないくらい速かった。私たちと一緒に席につき、私が二口食べた頃には先生のお皿はもう空だった。かといって、お行儀悪くがっつくわけでもなく、会話が途絶えるわけでもなくて、私たちはいつも不思議に思っていたものだ。音楽祭でも空き時間はすべて若いバイオリニストたちへの無料レッスンに明け暮れ、とにかく教えることにその後半生をささげた方であった。
今でも目を閉じるとその笑顔、その笑い声、そして先生の暖かく、そして燃えるようなバイオリンの音色が浮かんでくる。
ローゼンブリス先生、本当にありがとうございました。先生のこと、忘れません。ご冥福を心からお祈り申し上げます。