読書レビュー:スペンサーシリーズ第一巻 Godwulf Manuscript
- 2010.03.30 Tuesday
- 23:46
JUGEMテーマ:読書
古本屋でなかなか見つからないので、図書館で借りてきた。ロバート・B・パーカーによるスペンサーシリーズの第一巻である。1973年に発表された作品。
初登場のスペンサーは、ボストン市内のある大学に雇われて、盗まれた古文書の行方を追う。大学の極左翼学生組織が怪しいという大学側の言葉に従い、スペンサーは組織の秘書をつとめる女子学生、テリーに会って話を聞くが、はかばかしい情報は得られなかった。その日の夜、同居している男子学生が殺され、その罪を着せられそうになったテリーに助けを求められ、スペンサーはどんどんと深みにはまっていく・・・。
舞台になっている大学であるが、大学の名前は一度も登場しない。しかし、パーカー氏が当時教授を努めていたNortheastern University がモデルなのはほぼ確実である。何しろ大学の学生がWestland Avenue辺りに住んでいるのだから(笑)。
私がボストンに留学して通った音大は、実はこのNortheastern Universityのほぼ隣にある。そのため、今回の話では、なおさらなじみがあり、懐かしい場所がたくさん登場した。私の友達も実際2人ほどWestland Avenueに住んでいた。学校のすぐ近くでよく遊びに行ったものだ。私があの界隈に住んでいたのはこの話から16年後くらいで、かなり様変わりしていただろうが、まだ70年代の面影が少し残っていた。今はけっこう綺麗になってしまったが、当時はけっこう安いアパートが多くて、女の子が1人で夜歩くのはちょっと怖いような気がする通りだったし、ホームレスも多かった。ちなみにこのWesland AvenueとMassachusetts Avenueの角にボストン交響楽団のSymphony Hallがある。
パーカー氏が英文学の博士号も持っていたし、大学で英文学の教授だったこともあるのに、大学の英文学科のアカデミックな雰囲気を嫌っていたのは彼を知っている人の間では周知の事実だったようだ。この本を読んでいても、あんまり大学の教授とかエライ人たちを好きそうじゃないなあ、というのが行間から立ち上ってくる(笑)。
そしてまだ学生運動が吹き荒れるアメリカの大学のちょっと不穏な雰囲気。今とはえらい違いである。1973年といえば、私がかろうじて自分の子供時代を思い出せる程度の年である。この頃は、日本でもずいぶん色々あったなあ、と思い出す。1972年には、奈良で列車爆破事件があり、当時まだ幼かった私の姉が乗るはずだったのに、手違いで一本後の列車に乗り、命拾いしたことがある。そんな時代だった。アメリカはもっとすごかったのかもしれない。
相変わらず歴史好きなので、こういう時代背景が色々わかるお話は好きである。スペンサーはまだ30代で、シリーズの後の方の作品に比べるとまだちょっと「青い」(笑)が、へらず口はさすが。生き方にそれなりにすじが一本通っているのもお約束。すっきりと読みやすく仕上がっている。
後に彼の恋人となるスーザンはまだ登場しないが、気晴らし相手のもう一人の女性はここで登場した。へ〜、こういう出会いだったのね、と感心。スーザンが登場するのはどうやら次の二巻らしい。これも古本屋でみつけられなかったので図書館でリクエスト。多分一両日中には手元に届くだろう。楽しみである。それまでまたスキップして、5巻のThe Judas Goat(ユダの山羊)を読む。これもまだでだしの二章しか読んでいないが面白そうだ。
古本屋でなかなか見つからないので、図書館で借りてきた。ロバート・B・パーカーによるスペンサーシリーズの第一巻である。1973年に発表された作品。
初登場のスペンサーは、ボストン市内のある大学に雇われて、盗まれた古文書の行方を追う。大学の極左翼学生組織が怪しいという大学側の言葉に従い、スペンサーは組織の秘書をつとめる女子学生、テリーに会って話を聞くが、はかばかしい情報は得られなかった。その日の夜、同居している男子学生が殺され、その罪を着せられそうになったテリーに助けを求められ、スペンサーはどんどんと深みにはまっていく・・・。
舞台になっている大学であるが、大学の名前は一度も登場しない。しかし、パーカー氏が当時教授を努めていたNortheastern University がモデルなのはほぼ確実である。何しろ大学の学生がWestland Avenue辺りに住んでいるのだから(笑)。
私がボストンに留学して通った音大は、実はこのNortheastern Universityのほぼ隣にある。そのため、今回の話では、なおさらなじみがあり、懐かしい場所がたくさん登場した。私の友達も実際2人ほどWestland Avenueに住んでいた。学校のすぐ近くでよく遊びに行ったものだ。私があの界隈に住んでいたのはこの話から16年後くらいで、かなり様変わりしていただろうが、まだ70年代の面影が少し残っていた。今はけっこう綺麗になってしまったが、当時はけっこう安いアパートが多くて、女の子が1人で夜歩くのはちょっと怖いような気がする通りだったし、ホームレスも多かった。ちなみにこのWesland AvenueとMassachusetts Avenueの角にボストン交響楽団のSymphony Hallがある。
パーカー氏が英文学の博士号も持っていたし、大学で英文学の教授だったこともあるのに、大学の英文学科のアカデミックな雰囲気を嫌っていたのは彼を知っている人の間では周知の事実だったようだ。この本を読んでいても、あんまり大学の教授とかエライ人たちを好きそうじゃないなあ、というのが行間から立ち上ってくる(笑)。
そしてまだ学生運動が吹き荒れるアメリカの大学のちょっと不穏な雰囲気。今とはえらい違いである。1973年といえば、私がかろうじて自分の子供時代を思い出せる程度の年である。この頃は、日本でもずいぶん色々あったなあ、と思い出す。1972年には、奈良で列車爆破事件があり、当時まだ幼かった私の姉が乗るはずだったのに、手違いで一本後の列車に乗り、命拾いしたことがある。そんな時代だった。アメリカはもっとすごかったのかもしれない。
相変わらず歴史好きなので、こういう時代背景が色々わかるお話は好きである。スペンサーはまだ30代で、シリーズの後の方の作品に比べるとまだちょっと「青い」(笑)が、へらず口はさすが。生き方にそれなりにすじが一本通っているのもお約束。すっきりと読みやすく仕上がっている。
後に彼の恋人となるスーザンはまだ登場しないが、気晴らし相手のもう一人の女性はここで登場した。へ〜、こういう出会いだったのね、と感心。スーザンが登場するのはどうやら次の二巻らしい。これも古本屋でみつけられなかったので図書館でリクエスト。多分一両日中には手元に届くだろう。楽しみである。それまでまたスキップして、5巻のThe Judas Goat(ユダの山羊)を読む。これもまだでだしの二章しか読んでいないが面白そうだ。