ネブラスカ

  • 2005.11.30 Wednesday
  • 11:30
火曜日の朝、彼に空港まで送ってもらって、朝8時半のフライトでシカゴへ。シカゴで乗り換えて、ネブラスカのオマハに。オマハ行きの便が一時間ほど遅れたが、無事午後1時半にオマハの空港に到着。共演する同僚のAは、すでに月曜日から現地入りしている。ボストンは11月にしては暖かい天気で、コートもいらなかったが、こちらは氷点下。うっすら昨日降った雪も積もっている。あわててボストンバッグからダウンコートを出して羽織った。

空港に迎えに来てくれたのは、今回コンサートを主催しているネブラスカ州立大学オマハ校の声楽の先生、ウェンディだった。空港は町からとても近く、あっという間にホテルに到着。Aと合流して三人でランチに。

ネブラスカらしい店がいいな、というAの希望で、Farmhouse Cafeという店に入った。たっぷりした量と親切なサービスが中西部らしい。彼はステーキ、私はサラダの昼食をすませる。アスパラガスのクリームスープがとてもおいしかった。

食後、私は大学のコンサートホールへ行き、1時間ほど指慣らしとホールの音響に慣れるため練習。夕べほとんど眠れなかったというAはホテルへ戻った。

練習後は、大学院生のアシスタントがホテルまで送り届けてくれ、2時間ほど休憩する。ホテルはキッチン付きの広々としたタイプで、洗面所も広いのが、メークアップするのにとても便利でありがたい。

今回のコンサートは、飛行機代もホテル代も、食事もむこう持ちという、大変至れり尽くせりの待遇なので、なんだか勘違いしてしまいそう(笑)だった。その分、プレッシャーもひしひしと感じつつ、準備を終える。

先ほどのアシスタントがまた迎えに来てくれて会場へ。10分ほどサウンドチェックした後、声楽科主任のオフィスを控え室代わりにして時間を待つ。大学主催ではあるが、有料のコンサートで、サウンドチェックの間も、すでに開場を待つ人たちが数名入り口に並んでいた。

いよいよ時間となり、演奏開始。始まってみると本当にあっと言う間に時間が過ぎる。うちの大学のホールとはずいぶん聞こえ方が違うので、最初はかなり緊張するが、だんだん耳に入る響きになれて来て、後半は気持ちに余裕を持って楽しめた。

コンサート終了後、主任教授のスコットが、ディナーに連れていってくれた。ビールと料理のおいしい店で、Aもすっかりご機嫌だ。スコットは、私が3年勉強したカンザスの大学で勉強したこともあり、共通の知人もいることが判明。世の中狭いものである。もっとも、このネブラスカ大学からその大学までは多分車で3ー4時間くらいなので、ニューヨークーボストンとそんなに変わらない。そうやって考えると決して不思議ではないのだ。

なかなかいい音楽科なようで、設備もよく、前夜にマスタークラスをやったAに言わせると、なかなか質のいい生徒もいたようだ。オマハは、文化的なことにたいしてかなり積極的に援助がある町だということで、公立学校のプログラムも充実していて、コンサートなどのスポンサーも多いのだそうだ。ダウンタウンのビジネスビルディングも、建物の何割かは、アート用のスペースにしなくてはいけない条例があるとのことで、感心させられた。

ボストンとは時差が一時間あるため、オマハの午後11時はボストンの午前0時にあたる。ホテルに戻ったときにはすっかり疲れていて、化粧を落とすと早々にベッドにもぐりこみ、ぐっすり眠った。

翌日もスコットが迎えに来てくれて、空港まで送ってくれた。シカゴまではAと同じフライト、その後は彼はプロビデンス、私はボストン行きのフライトに別れる。彼のフライトは時間通りだったようだが、私はボストンの天気が悪いため、1時間半遅れとなった。でもそのおかげで、仕事が終わった彼に空港に迎えに来てもらえたので、有り難いと言えば有り難かったかも。

普段朝から晩まで教えているのに比べると、夢のようにリラックスしたスケジュールで、飛行機の中でもぐっすり眠ったり、読書したりと、実に快適な二日間だった。今週は土曜日もコンサートがあり、とても忙しいのだけれど、この旅行のおかげでなんとか乗り切れそうだ。

今週の抱負?

  • 2005.11.27 Sunday
  • 11:33
さて、明後日は火曜日にネブラスカ州の州都オマハへ飛ぶ。大学の同僚のバリトン歌手Aとネブラスカ大学でコンサートだ。こんなに遠くで演奏活動をするのは始めてで、やや緊張気味(笑)。しかも、火曜日の朝飛行機で飛んで、水曜日の夕方にボストンに戻るという強行軍。すばらしい歌い手であるAと一緒に演奏できるということと、ギャラがいいので思わず引き受けてしまった。うまくいきますように。

そして、土曜日、12月3日は大学のコーラスのリサイタル。新しい指揮者を迎えてのコンサート、こちらもやや不安材料はあるものの、楽しみだ。

今週は私がネブラスカに、そして来週は彼が仕事関係のコンファレンスでシカゴに。12月はパーティもあるし、コンサートもあるしで、何かと忙しい月になりそうだ。もっとも、私は12月中旬から1月の終わりまで大学が冬休みなので少しリラックスできる。音楽教室もクリスマス少し前から二週間ほど休みになるので、その間に片付けもできるし、ジム通いも復活できるだろう。

今年のクリスマスは、どうやらフィラデルフィア郊外に住む彼の妹さんのおうちに行くことになりそうだ。姪御さん2人とは、この春会って食事やドライブをしたので、なじみがある。妹さんご夫婦もいい人らしいし、楽しみだ。

というわけで新しい週の始まり。今週は絶対にランチを作るぞ〜!

今日は彼の用事につきあって少しでかけて、午後食料品と生活用品の買出し、その後料理の作り置きをする予定。

サンクスギビング2

  • 2005.11.26 Saturday
  • 11:37
金曜日。

夕べはみんな夜更かししたので(笑)、ゆっくり目に起きる。
NYタイムスとデイリーニュースをゆっくり読み、お父さんが作ってくれた目玉焼きをおいしくいただいて(目玉焼きはお父さんの担当だそうな)、その後、彼と2人で家から車で15分くらいのSagamore Hillへ。

ここは、セオドア・ルーズベルト大統領(第26代、1901-1909)の自宅がそのまま歴史公園になっているところだ。ルーズベルト家は、NYに早くから移り住み、栄えた家柄で、のちのフランクリン・ルーズベルトも同じ家系の出身(いとこだったかな?)だ。大統領になる前も後も、この家に住み、この家で亡くなったということで、当時の家具もほとんどそのまま残されている。現在は国立歴史公園にしていされ、内務省公園局の管轄となっている。

以前にこの日記で紹介したマサチューセッツ州コンコードのOrchard House(ルイザ・メイ・オルコットの家)と同じで、ここも専任のガイド(パークレンジャー)が邸内を案内して解説してくれる。

セオドア・ルーズベルトといえば、日露戦争の戦後の調停をしたことが日本にとってはもっともかかわりが深いと言えるだろう。東郷元帥がお礼に送ったという小さな鎧兜(五月人形かな)や、明治天皇が送った日本刀などもあった。また、今ではすっかりぬいぐるみのクマをあらわす言葉として定着したTeddy BearのTeddyはこの大統領の名前、セオドアのニックネームである。狩猟が趣味だった彼がある日、親とはぐれた小熊を殺そうとしなかったことが美談となり、大統領に許可をもらったぬいぐるみ作家が作り始めたものだそうだ。

私も彼も歴史オタクなので、こういうツアーは大好き。彼も子ども時代に何度か来ているのだけど、何度来てもこういうところは面白いそうだ。

残念なのは、晴れてこそいたものの、それはそれは寒かったこと。今年の11月は例年より暖かかったので、身体が氷点下前後の温度に慣れていなくて、外を歩くのがかなりつらかった。広い芝生の庭をのんびり歩いたり、ベンチに座って見たかったのだけれど、とてもとても・・・。Sagamore Hillというだけあって、この敷地は小高い丘の上にあり、ロングアイランドの北岸の海を見下ろす絶好の場所だ。だけど、その分風も強くて、寒かったこと、寒かったこと。

春とか秋にまた来てみたいな、と思いつつ丘を後にした。

夕方家に戻って、ご両親と彼と4人で近所のレストランへ。

彼がトイレに立ったときに、お母さんがふと、私にこう言った。

「あなたが彼と一緒に住むようになったと聞いて、私たちはとっても喜んでいるのよ。ここ1年ほど、彼が前よりとても幸せそうになったのには気づいていたから、私たちもそれがとてもうれしかったし、あなたのおかげだと思っているわ。こうしてあなたに会えて本当に嬉しいし、これからも2人で幸せになって欲しいと願っているのよ。」

感動しました。ちょっと涙が出そうになりました。

彼と知り合って二年、彼の穏やかで暖かい人柄から、きっといいご両親に育てられたんだろうなとは、常々思っていた。彼はもちろん彼なりにいろんな感情的苦労もしてきたのだろうし、ご両親と衝突したり気持ちの行き違いももちろんあっただろうけど、基本的にはきちんと愛されて育ってきたのだろうな、と。

お母さんは几帳面でご自分の意見をしっかり持っているけれど、それだけではなく、あたたかい人。お父さんは、ドイツ人気質なのか、ちょっと日本人のお父さんに似て、少しばかり照れ屋さんで、冗談ばっかり言っているけれど、とても愛情深い人であることがわかる。それに夫婦仲がとてもいい。見ていても仲むつまじくお互いを労わりあっていて、気持ちがいいことこの上ないのだ。

彼ももういい年なのだけど(笑)、彼らにとってはやはり息子であり、幾つになっても心配なのだろうな、と思う。外国人の私をこんなにすんなり受け入れてくださったことも、そして彼の選択を信頼し、素直に喜んでくださるその人柄にも感服したのだった。

お母さんにそんな風に言っていただいて、私は少し言葉に詰まってしまった。こんなときどう言えばいいのかな?と一瞬迷ったが、
「ありがとうございます。彼がもっと幸せになるよう、ベストを尽くします」
と答えた。お父さんもお母さんもにっこり笑ってうなずいてくれた。

写真は金曜日の夕方、Northportの港から撮った写真。

サンクスギビング1

  • 2005.11.24 Thursday
  • 11:40
朝8時半に彼の実家、NYのロングアイランドを目指して出発。
ボストンの天気は雨だったが、夜の間は雪だったらしく、途中のコネチカット州ではかなり積もっていた。

途中で数ヶ所、事故による渋滞もあったが、いろいろわき道を知っている彼のおかげでそれほど遅くもならず、午後3時過ぎにロングアイランドに到着。

私はマンハッタンには数度、ブルックリンとクイーンズにはそれぞれ一度ずつ行ったことがあるけれど、クイーンズの先のロングアイランドに来たのは今回が初めてだ。彼の生まれ育ったNorthportという町は、ロングアイランド(細く東西に伸びる島で、マンハッタンの南東)のほぼ真ん中の北岸にある。港から海の向こうには、コネチカット州の海岸線が見える。漁業が盛んで、ハマグリやカキがよく獲れ、港が三つある。

ダウンタウンからほど近い丘の上に彼の育った家はあった。彼が生まれる二ヶ月ほど前にご両親が引っ越してきた白い家は、キルト作りが趣味だというもと数学教師のお母さんと、ドイツ移民の息子で、エンジニアだった真面目なお父さんの、清潔ながらもあたたかい人柄がしのばれるこじんまりとした、居心地のいい家だ。仕事から引退して以来、フロリダにあるもう一軒の家とここを往復していらっしゃるらしい。秋からサンクスギビング前、そして1月1日から春が来るまでは、フロリダで、それ以外は、このロングアイランド、というのが習慣だそうだ。

私は一ヶ月くらい前から、今回の訪問のことでかなり緊張していたのだけど、お二人は本当に暖かく迎えてくださった。彼の妹さんの家族(娘さん2人とご主人)は、一年交代で、ここと、ご主人の実家に行っているそうで、今年のサンクスギビングはご主人の実家に。私と彼と、ご両親、そして、ご両親の昔からの友人夫婦(お父さんの同僚らしい)と、6人でのサンクスギビングディナーとなった。

彼が生まれた夜のことや、色々な思い出話を楽しく聞かせていただいた。食後、リビングで色々話しているところに、また別の古いお友達夫婦が登場。こちらは彼も親しくしてきた人で、彼はその人の娘のGodfatherである。私にはよくわからない人たちの話もいろいろあったけれども、話を聞いているだけでも楽しく、無事一日目は終了したのだった。彼も私も長いドライブで疲れていたせいか、その夜もお母さんの作ったキルトのかかるベッドで、ぐっすり眠った。

近況

  • 2005.11.21 Monday
  • 22:07
引越しと片付けが進まないことのストレス、キッチンが使えないので、あまりきちんと食べられない、などの要因が重なったせいか、ジムにも2ヶ月行っていないのに、今日、一ヶ月ぶりに体重を計ったら、なんと、最後に計ったときからさらに2キロ減少。また記録更新。通算9キロ減ったことになり、目標まであと2 キロだが、とりあえずは20歳の頃の体重に戻った。

ここ2週間くらい、人に「やせたね」と言われることが多く、服もなんとなくゆるいような気がしてはいたのだけど。でも、この2キロは運動でやせたわけではないので、生活が普通になったらすぐにリバウンドするだろう(笑)。早く片付けをすませてジムに行けるようになりたいものだ。

ちなみに太っていたときの服の多くがゆるすぎて着られなくなった。気に入っていた上質のスカートなどは、サイズ直しをしてもらって、まだ着られるようにした。ジーンズはベルトをしめてもはけなくなったので、新しいものを購入。すっかりいい気になった私は、年甲斐もなく、初めてのローライズを買ってみた。これがけっこう今の服にあわせ安くて気に入っている。

それでも気持ちには少しゆとりが出てきた。金曜日にやっとコンピュータが設置できたことで、仕事のファイルにアクセスできるようになったことも大きい。金曜日は、彼が夕食を作ってくれた。パスタをゆでて、オーガニックのチキンソーセージを焼いてのせて、市販のトマトソースをかけたのと、サラダで、なかなかおいしかった。私が最近ストレスがたまっていたので、なんとかしようと努力してくれているのがとてもありがたく感じられ、ああ、あんまりカリカリしちゃいかんな、と反省したのだった。

昨日(土曜日)の午後は、そんな彼のためにも、思い切って片付けをせず、二人で彼のメガネ(新しいのが必要)を買いに行き、レストランでゆったり食事をし、映画を借りてきた。疲れてたので、途中で寝ちゃったけど。今日は、彼が今仕事場から呼び出しがあって、ちょっとでかけたが、2時間くらいで終わるそうなので、その後ブランチにでかけて、午後から片付ける予定。昨日でかけたついでに、クローゼット用の棚のサイズ調整をしてもらってきたので、今日はやっとクローゼットが完成しそう。洋服の整理だけはなんとか今日中に終わらせたいものだ。

今週は水曜日まで働けば、あとはサンクスギビング。木曜の朝に出発して、彼の実家で二泊となる。楽しみなような、心配なような・・・。いよいよ彼のご両親と初対面。

Veteran's Day

  • 2005.11.11 Friday
  • 22:10
またまた手抜きで申し訳ないのですが、mixi日記のコピペ。

今日はホリデーです。

アメリカで祭日が月曜日じゃないのは、かなり珍しいことで、なんだか不思議な気分です。

いつものピアノレッスンの仕事はお休みですが、その代わり、午前中は、大学の生徒のオーディションCDの録音の伴奏をしていました。大学院受験のために必要なのです。Aはできのいい子なので、5曲の録音もきちっと2時間で終了。今回は大学ではなくて、私が教えている音楽教室の広いスペースを借りて録音しました。ピアノも状態がいいし、午前中で他のレッスンも無く、静かだったので、理想的な環境で録音できて一安心。音楽教室は私の住んでいるところから車で10分かからないので、そういう意味でも楽でした。

朝も彼と一緒に起きて、ひさびさに休日出勤の彼を見送りました。

彼女と録音してくれたミュージックテクノロジーの生徒、Lを食事に連れて行って、Aが払ってくれた伴奏料をそのま使って、お昼をごちそうしてあげました。朝早起きしてわざわざ遠いところを来た二人なので、そのくらいしてあげてもいいかな、と。

午後は1時間ほど、その音楽教室で教えている声楽の先生とリハーサル。彼女の親戚のお年寄りの誕生日プレゼントに、そのお年寄りの好きな古いブロードウェイミュージックを録音してCDにしてあげようという企画のお手伝いです。伴奏料は一応いただいているので、私に取ってはれっきとしたお仕事でもあります。

それがすんで3時に帰宅。平日でこんなに早く帰ってこれるなんて、感激ですが、うれしさのあまり何をしていいかわからず、(笑)とりあえず、メールをチェックして、その後、新住所のアドレスラベルをオンラインで注文。今、午後4時くらいです。

あと二時間くらいは一人でいろいろできそうです。台所をもう少し片付けようっと。この土日はもっとがんばって片付けようね!と彼にはっぱをかけているのですが、さて、どうなりますか。というよりどうにかしてもらわないと困るんですけどね・・・。

なんだか自分のコンピュータじゃないと、こうしてネットしていても落ち着かなくて、なかなか日記を書く気になれないのがとても不思議です。彼の机の散らかり具合が私の許容範囲を超えていて、落ち着かないせいかもしれません(爆)。かくいう私もけっこう散らかす方なので、その私が落ち着かないというのは、相当のレベルである、ということをどうかご理解いただきたい!(力説してみる今日このごろ)

コンサート

  • 2005.11.01 Tuesday
  • 22:13
この日曜日に引っ越した。

彼もずっと忙しくて、家を片付ける暇が全然なかったので、運んできた私の荷物や家具をほどけない状態になっている。この週末にはなんとかコンピュータの部屋だけでも片付けて、私のコンピュータデスクを設置し、コンピュータを立ち上げられるといいのだけど。

彼が、自分のマックに私のアカウントを設置して、インターネットと「ことえり」が使えるようにしてくれたので、メールやネット関係はとりあえず、なんとかなりそうだ。

ということで元気ですが、家がある程度片付くまで、あまりネット三昧もできず、メールの返事も遅れると思います。ご了承ください。取り急ぎのご報告でした。

さて、今日は グループのコンサート。ボストンのジャズクラブで毎年この時期にやっている自主興行だ。

今年のテーマは「ルイ・アームストロング」。たまたまハリケーンのおかげで、ニューオーリンズ特集のコンサートがやたら多くなってしまったが、私たちは年明けくらいからずっとこのテーマで計画して準備してきたのだ。(ルイ・アームストロングはニューオーリンズ生まれ)

今年はここ2年参加してくれているサックス奏者のJに加えて、トランペットのP、そしてベースは前回のJではなく、サックスのJの紹介でRが新たに参加。全員揃ったリハーサルが一回しかなかったので、かなりスリリングではあったが、RとJがとにかくすばらしい奏者で、一緒に演奏させてもらったことが本当にありがたい。Jはすっかりなじんできて、以前はシャイだったが、今はジョークも連発、お茶目なキャラクターを披露するようになってきた。Rはもの静かながら、とても人間のできた人で、今回、リハーサル中に、彼に教えてもらったことはとても多い。ジャズピアニストとしては誠に未熟な私に対しても、決して見下したような態度をとることもなく、それはそれはきちんと対峙してくれた。恐縮の限りである。

シンガーで、グループのリーダー的存在のHは客の入りを心配していたが、彼女の熱心かつ徹底的なPR作戦が功を奏して、今年も満員! この自主興行では、入場料から20%がハウス(ジャズクラブ側)に、そして、控え室代わりに提供されるホテルの部屋(このクラブはボストン市内の某ホテル内にある)の部屋代一室分を差し引いた残りすべてがこちらの収入となる。なので、お客様の人数が多ければ多いほど、ありがたいのだ。逆にあまり少なかったらこちらがクラブにお金を払うことになってしまう。

本番前に相変わらずいろいろハプニングはあり、どたばたはしたものの、無事開演にこぎつけ、その後はあっという間に過ぎた。終了後、撤収を終えて、ホテルのバーで私とH、ドラマーのK、私の彼の4人で少し飲む。その後私と彼はそのままホテルの部屋に泊まった。家はまだ荷解きできていないし、私は翌朝けっこう早く出て大学に出勤なので、この方が楽なのだった。

同じプログラムで3月にボストンから西の郊外で再演が決定している。それまでにさらに自分のアドリブを磨かなくちゃ、と決意も新たな今日このごろです。しかし、来週の火曜日には今度は大学でクラシックのコンサート。頭もジャズからクラシックに切り替えなくては。

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