映画レビュー:「おくりびと」
- 2009.06.21 Sunday
- 22:33
JUGEMテーマ:映画
隣の町の映画館で、この金曜日から日本映画「おくりびと」(英語タイトル:Departures)の上映が始まったので、今日、夫と観に行って来た。アカデミー賞の外国語映画部門最優秀賞を受賞し、アメリカでも話題になっていたが、全国上映がやっと始まったのである。納棺師、という職業があることを初めて知る。私が日本で葬式に立ち会ったのはほんの二回だけである。一度目は母方の祖父が亡くなったときで、このときはまだ13歳だった。納棺のときは、年若い従兄弟たちと共に別室に行くように言われたので、見ていない。火葬場にも、人数が多いから、という理由で、従兄弟たちと一緒に家に残った。二度目は大学一年のとき、父方の祖父が亡くなったときだが、このときもなぜか覚えていないが、納棺は見ていないのだった。ただし、このときはちゃんと火葬場に行き、お別れをさせてもらった。
大学卒業と共に渡米し、両方の祖母が亡くなったときも、かわいがってくれた伯母が亡くなったときも、子供のときよく子守をして可愛がっていた年下の従兄弟が亡くなったときも、帰国できなかった。
こちらでも二度だけ、知人の家族が亡くなったとき、メモリアルサービスには出席したが、いわゆるお葬式やお通夜(こちらでも名前や方法は違うが似たようなことが行われる)には出たことがない。いわば、私にとっては未知の世界である。
主人公の小林大悟(本木雅弘)は東京でプロのチェロ奏者だったが、やっと入団したオーケストラが解散してしまったため、チェロの仕事をあきらめ、高価なチェロを売って、ウェブデザイナーの妻、美香(広末涼子)と共に、故郷の山形に帰る。そこには亡き母が残してくれた家があった。大悟の父は彼が幼いとき、愛人を作って家出してしまい、彼は母に女手一つで育てられたのである。
仕事を探していた大悟が見つけたのは、なんと、納棺師の仕事だった。社長(山崎努)と、ちょっとワケありっぽい事務員(余貴美子)2人の小さな事務所。死体を扱う、というショッキングな仕事に最初は動揺し、戸惑う大悟だが、次第にこの仕事の大事な役目、「亡くなった人を大切にあの世へ送り出す」ことにやりがいを覚えるようになった。
そんな折、妻の美香に納棺師の仕事をしていることがばれてしまう。今までの決断に何一つ文句を言わず、笑顔でついてきた美香も、このことだけはどうしてもガマンできなかった。仕事をやめようとしない大悟を残し、美香は実家に帰ってしまう・・・。
(以下はネタバレを含んだ感想となりますので、ご注意ください)
まず、山崎努と笹野高史の両氏が出ている、というだけで私は嬉しくなってしまう。大悟の幼馴染、山下(杉本哲太)の母親ツヤ子が吉行和子、というのも嬉しかった。
本木雅弘のチェロの演奏ぶりに見惚れる。これをきっかけに、チェロが趣味になったそうだが、実にさまになっているのだ。もちろん音は吹替えだろうけれども、ビブラートをかけている左手、右手の弓の運びなど、実にそれらしく、実際にそれなりにちゃんとした音は出ているのだろうなあ、と思った。もちろん映画の音はプロによる吹替えだろうけれど・・・。1980年のアメリカ映画で、「The Competition」という映画があり、その中でリチャード・ドレイファスとエイミー・アーヴィングが見事なピアノ演奏の演技を見せていたが、それをふと思い出した。ここまでしっかりと見せられるのは大したものだ、と思う。
そして、山形の美しい風景に心を奪われる。アメリカ、ニューイングランド地方の景色も美しいが、日本の田園風景はやはり懐かしく心にしみる。私は東北地方は行った事がないので、この辺りは未知の世界であるが、田んぼの向こうに見える山並み、河原、すべてが懐かしい日本の風景である。四季折々の姿が本当に美しい。夫も帰り道、しきりに「風景が綺麗だったねえ」とため息をついていた。
スタジオジブリの作品ですっかりお馴染みの久石譲さんが音楽担当。ああ、これはきっとこの人に違いない、と上映中から思っていたので、最後のクレジットで深く納得(笑)。この人の音楽は本当にあたたかい。美しい風景とあいまって、癒し効果も倍増である。夫はメインテーマ(映画の中で主人公大悟がチェロで演奏する)がいたく気に入ったようである。本物のクラシック音楽だと思ったようで、「で、あれは誰が書いた曲なの?」と後で聞かれた(笑)。
ストーリー。この映画を観ながら、私は作家の故池波正太郎氏の言葉を思い出していた。
「人間は生まれたときから死に向かって進んでいる。上手く死にたいから、良く生きるよう努力する」
というような内容だったと思う。
身内が亡くなるのは辛いことである。私が大好きだった祖母や伯母、従兄弟が亡くなったとき、私は日本へ行くことが出来なかった。二年前、ようやく帰国を果たして、墓参りすることが出来たのである。だからなのか、私の中では、今ひとつ、これらの人々が亡くなった、という実感がない。まだどこかでひょっこり会えそうな気がしてしまうのである。そしてそう感じるたびに、ああ、そうじゃないんだ、と気がついて今でも涙が出ることがある。
誰かが、「葬式は、残された者のためにある」と言ったのを聞いたか読んだことがある。セレモニーを通して、人は愛する人を送り出し、別れを告げる心の準備をするのだろうか。
この映画で描かれる納棺師の所作は実に美しい。これだけ大事に、尊敬と愛情をもって、自分の愛する人の遺体を扱ってもらうのを目前にしたら、きっと残された人々は少しだけでも慰められるかもしれない、と思った。
色々なエピソードが語られる。きれいになった妻の遺体に号泣する夫。おばあちゃんが生前はきたがっていたから、と笑顔でルーズソックスを納棺師に渡す女子学生。妻、娘、孫娘で、泣きながら「パパ、ありがとう」とキスマークをパパにつけてあげた家族。最初と最後に登場する、いわゆるニューハーフの子を亡くした両親。どれも、心に残る話だった。
そして、大悟自身、顔が思い出せない、どこにいるとも知れない父親へのわだかまりを抱えて生きている。この映画では、最後に大悟は父親の遺体と体面し、あることから父が一日たりとも大悟のことを忘れなかった、ということを知って、父親の遺体を、心をこめて納棺する。そして、妻の美香もそんな大悟に理解を示すようになった。
この映画は、「死」という重いテーマを茶化すことなく、しかし暗くすることもなく、淡々ととらえている。死は一つの門をくぐりぬけて別のところへ行くステップである、と笹野高史扮する火葬場の職員(そして銭湯の常客で、ツヤ子のボーイフレンドのような存在だったようだ)は言う。
「また、会おうの」
そう、私たちはみんな、またいつか会えるのだ。そう思うと、ほんの少しでも、悲しみは癒されるかもしれない。
色々と考えさせられると同時に、また一日一日を、悔いが残らないよう、大切に生きていこう、と思わせる映画だった。アメリカではまだDVDが発売されていない。出たらおそらく買うだろうと思う。観に行って良かった。
本木雅弘のチェロの演奏ぶりに見惚れる。これをきっかけに、チェロが趣味になったそうだが、実にさまになっているのだ。もちろん音は吹替えだろうけれども、ビブラートをかけている左手、右手の弓の運びなど、実にそれらしく、実際にそれなりにちゃんとした音は出ているのだろうなあ、と思った。もちろん映画の音はプロによる吹替えだろうけれど・・・。1980年のアメリカ映画で、「The Competition」という映画があり、その中でリチャード・ドレイファスとエイミー・アーヴィングが見事なピアノ演奏の演技を見せていたが、それをふと思い出した。ここまでしっかりと見せられるのは大したものだ、と思う。
そして、山形の美しい風景に心を奪われる。アメリカ、ニューイングランド地方の景色も美しいが、日本の田園風景はやはり懐かしく心にしみる。私は東北地方は行った事がないので、この辺りは未知の世界であるが、田んぼの向こうに見える山並み、河原、すべてが懐かしい日本の風景である。四季折々の姿が本当に美しい。夫も帰り道、しきりに「風景が綺麗だったねえ」とため息をついていた。
スタジオジブリの作品ですっかりお馴染みの久石譲さんが音楽担当。ああ、これはきっとこの人に違いない、と上映中から思っていたので、最後のクレジットで深く納得(笑)。この人の音楽は本当にあたたかい。美しい風景とあいまって、癒し効果も倍増である。夫はメインテーマ(映画の中で主人公大悟がチェロで演奏する)がいたく気に入ったようである。本物のクラシック音楽だと思ったようで、「で、あれは誰が書いた曲なの?」と後で聞かれた(笑)。
ストーリー。この映画を観ながら、私は作家の故池波正太郎氏の言葉を思い出していた。
「人間は生まれたときから死に向かって進んでいる。上手く死にたいから、良く生きるよう努力する」
というような内容だったと思う。
身内が亡くなるのは辛いことである。私が大好きだった祖母や伯母、従兄弟が亡くなったとき、私は日本へ行くことが出来なかった。二年前、ようやく帰国を果たして、墓参りすることが出来たのである。だからなのか、私の中では、今ひとつ、これらの人々が亡くなった、という実感がない。まだどこかでひょっこり会えそうな気がしてしまうのである。そしてそう感じるたびに、ああ、そうじゃないんだ、と気がついて今でも涙が出ることがある。
誰かが、「葬式は、残された者のためにある」と言ったのを聞いたか読んだことがある。セレモニーを通して、人は愛する人を送り出し、別れを告げる心の準備をするのだろうか。
この映画で描かれる納棺師の所作は実に美しい。これだけ大事に、尊敬と愛情をもって、自分の愛する人の遺体を扱ってもらうのを目前にしたら、きっと残された人々は少しだけでも慰められるかもしれない、と思った。
色々なエピソードが語られる。きれいになった妻の遺体に号泣する夫。おばあちゃんが生前はきたがっていたから、と笑顔でルーズソックスを納棺師に渡す女子学生。妻、娘、孫娘で、泣きながら「パパ、ありがとう」とキスマークをパパにつけてあげた家族。最初と最後に登場する、いわゆるニューハーフの子を亡くした両親。どれも、心に残る話だった。
そして、大悟自身、顔が思い出せない、どこにいるとも知れない父親へのわだかまりを抱えて生きている。この映画では、最後に大悟は父親の遺体と体面し、あることから父が一日たりとも大悟のことを忘れなかった、ということを知って、父親の遺体を、心をこめて納棺する。そして、妻の美香もそんな大悟に理解を示すようになった。
この映画は、「死」という重いテーマを茶化すことなく、しかし暗くすることもなく、淡々ととらえている。死は一つの門をくぐりぬけて別のところへ行くステップである、と笹野高史扮する火葬場の職員(そして銭湯の常客で、ツヤ子のボーイフレンドのような存在だったようだ)は言う。
「また、会おうの」
そう、私たちはみんな、またいつか会えるのだ。そう思うと、ほんの少しでも、悲しみは癒されるかもしれない。
色々と考えさせられると同時に、また一日一日を、悔いが残らないよう、大切に生きていこう、と思わせる映画だった。アメリカではまだDVDが発売されていない。出たらおそらく買うだろうと思う。観に行って良かった。