読書レビュー:「子鹿物語」の原書を読む
- 2008.02.06 Wednesday
- 13:30
The Yearling
Marjorie Kinnan Rawlings
古本屋でみつけて何気なく買った「子鹿物語」の原作。子供の頃読んだ記憶があるが、覚えているのは、本当にごく一部だった。
そのうち読もう、というくらいの軽い気持ちで買ったのだが、11月に訪れたばかりのフロリダが舞台であることと、ちょっとネットで調べると1930年代にピュリッツァー賞を受賞したことがわかり、急に興味がわいて読み始めた。
日本でも何度も訳されている名作なので、あらすじの紹介ははぶいて直接感想に行きたいと思う。
(以下はネタばれも含みますのでご注意ください)
舞台はフロリダで、時代設定はおそらく南北戦争から10年後くらいだと思われる。ジョディ・バクスターは12歳くらいの少年で、父親のペニー(本名はエズラだが、小柄なのでそういうあだ名で呼ばれている)と母親のオリーと共に、フロリダの森の中、父ペニーが切り開いた小さな開拓地で暮らしている。
この場所なのだが、11月の旅行の際立ち寄ったSt. Augustineからちょっと内陸に行った辺りらしい。つまりフロリダ北部である。半島の根元の内陸部だ。
子鹿物語、というタイトルからしても、ジョディが飼った子鹿のことが話のメインだったという記憶があるのだが、今回読んでみて驚いた。子鹿は33章中の15章まで登場しない。確かに最後に子鹿を撃たねばならないという悲しい結末があり、それがクライマックスでもあるのだが、実際に原作をしっかり読んでみると、主題は単に「ジョディと子鹿の友情物語」言うような、つまり昔のカルピス劇場的な「ほのぼの動物物語」というのとはかなり違っている。
たとえば、ジョディの母親オリーは、冷たい人として描かれている。ジョディが生まれる前に子供を何度も亡くし、ジョディに注ぐ愛情はもう枯れていた、というようなことが2章でも語られているし、実際ジョディにかけるセリフもあたたかみがない。隣人(といっても離れているけれど)や他人に対してもプライドばかりで思いやりや愛情がまったく感じられず、父ペニーにたしなめられるようなひどい言葉も吐く。
逆に父親のペニーは、同じ理由から、逆にジョディをとてもかわいがるし、厳しい生活の中でも、せめてジョディには子供らしい生活をさせてやりたいと願うあまり、少し甘やかすきらいもあるほどだ。
しかし、まだ幼い子供が母親の愛情をあまり受けずに育つということは、それなりに子供の心に隙間が出来るのかもしれない。ジョディは切実に、家畜でなく自分が愛情を惜しみなく注げるペットを欲しがる。貧しいのでなかなかそんな余裕はないのだが、ひょんなことから、父親が必要に駆られて殺した雌鹿の子供をジョディは育てることを許された。
しかし、この本は子鹿が主役か、と言うとそうでもない。あくまでジョディを中心にした、フロリダの野生の中でぎりぎりの生活をする人々の生活をリアルに描いている。
隣人であるForrester家には成人した息子たち数人と、身体が不自由な年の離れた(ジョディと同じ年代)の息子がいる。この家族はバクスター家に比べると、ウイスキーを密造して飲んだくれ、喧嘩もするが、働き手の少ないバクスター家には何かと助けの手をさしのべてくれる。また、Volusiaの町に住むHutter家の母と、息子で船乗りのオリバーもバクスター家の男たちにとっては貴重な友人だ。
一方フロリダの森には、鹿や狸、リスや鳥たちなど食料となる生き物だけでなく、豹、熊、オオカミと言った、家畜をおびやかす危険な動物もたくさん住んでいる。中でも老練で賢い大熊、Slewfootは人間の裏を何度もかき、この熊との戦いも、作品の主要プロットの一つだ。フロリダの植物や動物、気候、風土が豊かに丹念に描きこまれており、登場人物のセリフも強い訛りを忠実にスペルで表現しているため、慣れていない人にはかなりセリフが読みにくいかもしれない。
食べものの描写も興味深かった。ほぼ同時代で、中西部が舞台の「大草原の小さな家」のシリーズでも、当時の色々な食べものが登場して、子供の頃わくわくしながら読んだものだが、この本も然り。フロリダの自然の恵みと人々の知恵が合わさって、聞いたこともないような食材、食べたこともない料理が列挙される。一つだけ、ネットでいくら調べても出てこなかったのが、邦訳では「肉饅頭」と訳されているSand-buggerである。文章では、材料は、陸亀の肉、ジャガイモ、玉ネギとある。うーん、美味しそうな材料だけに気になる!
サツマイモも大事な炭水化物源としてよく食べられている。そういえば、11月のサンクスギビングでもサツマイモ料理が登場したっけ。「フロリダらしいでしょ」と義母が言っていたのを思いだす。
少年には理解できない大人の事情により起こる色々な出来事も描かれる。男同士の女がらみの争い、その腹いせで起こる数々の事件など。また、Forrester家の身体の不自由な少年はやがて病死する。ジョディにとって初めての身近な死。その現実を受け入れることがなかなか出来なくて戸惑うジョディは、やがて一つの悟りを得る。それは彼が大人になっていく第一歩だった。
本の終わりでは、父親が身体を壊してほとんど働けなくなり、ジョディに一家の責任がのしかかってくる。それと同時に成長して一年後(Yearling)になったペットの子鹿が農作物を食い荒らすようになった。売る余裕もなく、自分たちが食べるためぎりぎりの農作物を食い荒らされては生きていけない。子鹿は結局撃たれて死ぬことになる。絶望にかられたジョディは家出するが、家に戻ったときは、もう前の子供ではなく、幼くとも覚悟を決めた一人の男になっていた。父親もそれを察して、
「これは親と子ではなく、男と男の話だ」
と言ってジョディに自分の思いを告げる。
最後の章は色々なことを考えさせられた。過酷な状況で、今の時代や他のめぐまれた環境なら、まだまだ数年は無邪気に子供でいられた年齢のジョディだが、彼はきっぱりと覚悟を決めて、その幼年時代を背後に捨てていく。19世紀のこの時代、何人の少年や少女がそうやって生きていったことだろうか。
ちなみに、この本を書いた作者は実際にフロリダ北部の内陸部の森の中の農場に長いこと住んでいた。その家が今では州立公園になっているという。夫の両親が冬を過ごす家からもわりと近い。次回フロリダを訪ねるときは、ぜひここにも足を運んでみたいものだ。
読み応えのある本で、ちょっと放心状態になった。次は、出入りしている読書掲示板で読書会が始まったGolden Compassを読む。新しいファンタジーシリーズで、どんな世界なのか、とても楽しみだ。
この場所なのだが、11月の旅行の際立ち寄ったSt. Augustineからちょっと内陸に行った辺りらしい。つまりフロリダ北部である。半島の根元の内陸部だ。
子鹿物語、というタイトルからしても、ジョディが飼った子鹿のことが話のメインだったという記憶があるのだが、今回読んでみて驚いた。子鹿は33章中の15章まで登場しない。確かに最後に子鹿を撃たねばならないという悲しい結末があり、それがクライマックスでもあるのだが、実際に原作をしっかり読んでみると、主題は単に「ジョディと子鹿の友情物語」言うような、つまり昔のカルピス劇場的な「ほのぼの動物物語」というのとはかなり違っている。
たとえば、ジョディの母親オリーは、冷たい人として描かれている。ジョディが生まれる前に子供を何度も亡くし、ジョディに注ぐ愛情はもう枯れていた、というようなことが2章でも語られているし、実際ジョディにかけるセリフもあたたかみがない。隣人(といっても離れているけれど)や他人に対してもプライドばかりで思いやりや愛情がまったく感じられず、父ペニーにたしなめられるようなひどい言葉も吐く。
逆に父親のペニーは、同じ理由から、逆にジョディをとてもかわいがるし、厳しい生活の中でも、せめてジョディには子供らしい生活をさせてやりたいと願うあまり、少し甘やかすきらいもあるほどだ。
しかし、まだ幼い子供が母親の愛情をあまり受けずに育つということは、それなりに子供の心に隙間が出来るのかもしれない。ジョディは切実に、家畜でなく自分が愛情を惜しみなく注げるペットを欲しがる。貧しいのでなかなかそんな余裕はないのだが、ひょんなことから、父親が必要に駆られて殺した雌鹿の子供をジョディは育てることを許された。
しかし、この本は子鹿が主役か、と言うとそうでもない。あくまでジョディを中心にした、フロリダの野生の中でぎりぎりの生活をする人々の生活をリアルに描いている。
隣人であるForrester家には成人した息子たち数人と、身体が不自由な年の離れた(ジョディと同じ年代)の息子がいる。この家族はバクスター家に比べると、ウイスキーを密造して飲んだくれ、喧嘩もするが、働き手の少ないバクスター家には何かと助けの手をさしのべてくれる。また、Volusiaの町に住むHutter家の母と、息子で船乗りのオリバーもバクスター家の男たちにとっては貴重な友人だ。
一方フロリダの森には、鹿や狸、リスや鳥たちなど食料となる生き物だけでなく、豹、熊、オオカミと言った、家畜をおびやかす危険な動物もたくさん住んでいる。中でも老練で賢い大熊、Slewfootは人間の裏を何度もかき、この熊との戦いも、作品の主要プロットの一つだ。フロリダの植物や動物、気候、風土が豊かに丹念に描きこまれており、登場人物のセリフも強い訛りを忠実にスペルで表現しているため、慣れていない人にはかなりセリフが読みにくいかもしれない。
食べものの描写も興味深かった。ほぼ同時代で、中西部が舞台の「大草原の小さな家」のシリーズでも、当時の色々な食べものが登場して、子供の頃わくわくしながら読んだものだが、この本も然り。フロリダの自然の恵みと人々の知恵が合わさって、聞いたこともないような食材、食べたこともない料理が列挙される。一つだけ、ネットでいくら調べても出てこなかったのが、邦訳では「肉饅頭」と訳されているSand-buggerである。文章では、材料は、陸亀の肉、ジャガイモ、玉ネギとある。うーん、美味しそうな材料だけに気になる!
サツマイモも大事な炭水化物源としてよく食べられている。そういえば、11月のサンクスギビングでもサツマイモ料理が登場したっけ。「フロリダらしいでしょ」と義母が言っていたのを思いだす。
少年には理解できない大人の事情により起こる色々な出来事も描かれる。男同士の女がらみの争い、その腹いせで起こる数々の事件など。また、Forrester家の身体の不自由な少年はやがて病死する。ジョディにとって初めての身近な死。その現実を受け入れることがなかなか出来なくて戸惑うジョディは、やがて一つの悟りを得る。それは彼が大人になっていく第一歩だった。
本の終わりでは、父親が身体を壊してほとんど働けなくなり、ジョディに一家の責任がのしかかってくる。それと同時に成長して一年後(Yearling)になったペットの子鹿が農作物を食い荒らすようになった。売る余裕もなく、自分たちが食べるためぎりぎりの農作物を食い荒らされては生きていけない。子鹿は結局撃たれて死ぬことになる。絶望にかられたジョディは家出するが、家に戻ったときは、もう前の子供ではなく、幼くとも覚悟を決めた一人の男になっていた。父親もそれを察して、
「これは親と子ではなく、男と男の話だ」
と言ってジョディに自分の思いを告げる。
最後の章は色々なことを考えさせられた。過酷な状況で、今の時代や他のめぐまれた環境なら、まだまだ数年は無邪気に子供でいられた年齢のジョディだが、彼はきっぱりと覚悟を決めて、その幼年時代を背後に捨てていく。19世紀のこの時代、何人の少年や少女がそうやって生きていったことだろうか。
ちなみに、この本を書いた作者は実際にフロリダ北部の内陸部の森の中の農場に長いこと住んでいた。その家が今では州立公園になっているという。夫の両親が冬を過ごす家からもわりと近い。次回フロリダを訪ねるときは、ぜひここにも足を運んでみたいものだ。
読み応えのある本で、ちょっと放心状態になった。次は、出入りしている読書掲示板で読書会が始まったGolden Compassを読む。新しいファンタジーシリーズで、どんな世界なのか、とても楽しみだ。
その感動が忘れられず、今でもたまにDVDで視てます。
孫もいる私ですが、タイトルと音楽とともにジョディとフラッグが森を走るシーンが流れるだけで・・・胸が熱くなってます。
The Yearling 巣立ちがテーマですよね。
孫の巣立ちが楽しみです。
コメントありがとうございます。グレゴリー・ペックとジェーン・ワイマン出演の映画ですね。私もかなり前ですが観た事があります。お母さんのイメージがちょっと違いますが…。
お孫さんとジョディが重なるお年でしょうか。