今、ボストンとニューイングランド北東部(マサチューセッツ州北東部から主にニューハンプシャー州)を騒がせているニュースがある。珍しい事件なので昨日はワシントンポスト紙でも報道された。
この地域には全国チェーンも含めて、いろいろなスーパーマーケットがある。その中の一つで、マサチューセッツ州ローウェルからスタートして州東北部から隣のニューハンプシャー州などで根強い人気を誇っているローカルチェーンがマーケット・バスケット(Market Basket)である。
何しろ値段が安い。しかし品質にはそれほど妥協をしていないのでとても人気がある。独自のオリジナルブランドも定評があって、ベーカリーもなかなか美味しかったりするのである。
平日の午前中に行ってもこのスーパーはたくさんの人でにぎわっている。従業員も感じがよくて親切だし、長年働いている人が多いのも特徴だ。
そのマーケット・バスケットが今大変なことになっている。店に行っても棚の多くが空っぽで、従業員の多くは店の前に大きなサインを出して抗議行動を行っている。
いったい何が起きているのか?従業員のストライキなどは決して珍しくないアメリカだが、ここの従業員たちの抗議行動は普通ではなかなかお目にかかれない理由なのである。だからこそ、アメリカの注目を少しずつ浴び始めているのだ。
それを説明するためには、1916年までさかのぼる必要がある。
英語のブログでこの経緯を詳しく説明している記事があるので、それを参考に要約してみた。
マーケット・バスケットの創立者はアサナシオス(通称アーサー)・デムーラス。ギリシャからの移民である。彼はボストンから北に行ったところにあるローウェルという町で小さな食料品店をオープンした。そして、その食料品店は二人の息子、テレマカス(愛称マイク)とジョージに受け継がれた。1950年代から1960年代にかけて、デムーラス兄弟はこの食料品店を10以上の支店を持つスーパーマーケットチェーンに発展させたのである。そして1971年、ギリシャでバケーション中だったジョージが心臓発作を起こして亡くなった時から、マーケットバスケットのその後の何十年にもわたるトラブルが始まったのだ。
兄弟はお互いの身に何かあったときは、相手の家族の面倒を見ると約束していた。マイクも最初はその約束を守っているかのように見えた。しかし、次第に彼はジョージの遺族を騙すようにして書類にサインをさせ、会社の経営を独り占めしようとたくらんだのである。
ジョージの妻と子供たちは伯父であるマイクを信頼していた。しかし、気づいたときにはジョージの妻は会社の役員会のメンバーから外され、マイクはたくみに会社の資産を自分だけが経営権を持つ子会社の方に移し、ジョージの遺族がタッチできないようにしてしまった。そして、デムーラスの会社は大きな成功を収めていたにも関わらず、ジョージの遺族はほんのわずかな収入しか得られないようになってしまったのだ。
そして1990年、ジョージの遺族は自分たちが知らないうちに、自分たちが所有するデムーラスの会社の株が売られていたことを税金の通知によって初めて知った。そして字彼らはマイクを訴えて出る。こうして長く続く裁判が始まった。
事実は小説より奇なり、と言うが、この親族同士の争いはかなり激しいものだったらしい。従兄弟同士が法廷の建物の裏で殴りあいの喧嘩になることもあり、ジョージの息子が亡くなったとき、葬式に出ることを禁じられた家族のメンバーもいた。1990年代を通して合計6件の裁判が行われ、マイクの家族は時として一度に19人の弁護士を雇っていたことさえあったと言う。陪審員が味方をする代わりに巨額の金を要求したこともあった。身分を偽って法廷の職員との会話をこっそり録音し、判事が自分側に不利になる判決を既に決めていることを言わせて裁判を無効にしようとする試みもあり、FBIが乗り出す騒ぎにもなった。この裁判に関わるゴタゴタで、二人の弁護士が弁護士資格を剥奪されたのである。
そして最終的には、マイクがジョージの遺族を騙して五億ドルに相当する損害を与えたという判決が下り、会社の株の51%をジョージの遺族が所有することになった。
これで一件落着したかというと、とんでもない。これからがやっと本題なのである。
マイクの息子、アーサー・T・デムーラスはこの裁判にも関わっていて、当然ジョージの遺族には激しく恨まれていたが、2008年に役員会の投票により、CEOとなる。
経営者としてのアーサー・T(従業員には親しみを込めてアーティー・Tと呼ばれている)は、従業員を非常に大事にしていて人望が厚かった。他のスーパーマーケットに比べて給料の額も高く、健康保険の条件も良かった。従業員に対して偉そうな態度を取ることもなく、彼らの冠婚葬祭にもまめに顔を出し、家族のように慕われていたのだ。2008年に米国が不景気になった時も、彼は会社の利益を従業員の利益分配(これもスーパーでは珍しい待遇である)の損失の補填につぎ込み、これがさらにジョージの遺族を怒らせることとなった。ジョージの遺族は利益分配を強く望んでいたからだ。
そして2013年の夏、アーサー・Tの従兄弟でジョージの息子であるアーサー・S・デムーラス(紛らわしいのだが、アメリカでは家族の間で同じファーストネームをつけることが多い)は役員会の多数派を味方につけ、アーサー・Tをクビにしようと試みた。ジョージの遺族は会社の経営にはほとんど携わっていないにも関わらず、会社の利益はできるだけ自分たちの手に入れようとしており、世論とマーケット・バスケットで長年働いてきた従業員たち(幹部たちも含めて)は猛烈に反対し、役員会に押しかけて抗議した。その効果もあってか、その時の役員会はアーサー・Tをクビにすることはしなかったのである。
しかし今年の6月、ついにアーサー・Tは解雇された。そして彼の後釜として雇われた二人のCEOは、外部からやってきた人物で、二人ともよそでの実績はかんばしくない(一人はCEOをつとめた有名会社を売却するほどひどい状況に追い込んだ)。同時にアーサー・Tに忠実だった長年の幹部も数名解雇された。
そして従業員たちの反乱が始まった。
この会社は労働組合がない。だから彼らが出来ることは限られているが、それでも彼らは役員会を恐れなかった。彼らはアーサー・Tの復職を要求し、それがなければ働かない、と役員会に通達した。労働階級の彼らが、マサチューセッツ州で最も裕福な人間の一人であるアーサー・Tのために立ち上がったのだ。これがこの事件の最もユニークなところなのである。解雇された経営者のために従業員たちが抗議行動を起こすなど、今のアメリカでは前代未聞のことである。逆ならよくあることだが…。
各地のマーケット・バスケットでは流通をストップさせ、いつもぎっしり並んでいる新鮮な肉や野菜の棚が次々と空っぽになった。従業員たちは、客に「申しわけありません。どうか、私たちの抗議活動が実を結ぶまで、マーケット・バスケットをボイコットしてください」と頼んだ。
彼らは本社の前でデモを何度も行っている。役員会はマネージャーレベルの従業員を解雇することで脅しをかけようとしたが、それはかえって従業員たちの闘志をさらにかきたてる結果となり、また世論も完全に従業員とアーサー・Tの味方となり、客も「アーサー・Tが戻るまでマーケット・バスケットをボイコットする」という状況になった。
従業員たちがアーサー・Tを支持する理由は上記の通りだが、なぜ消費者たちも彼らを支持しているのか?それは、今までの経緯から、消費者たちもアーサー・Sを筆頭とするジョージの遺族を経営者として信用していないからだ。高品質の商品を安い価格で売るという良心的な経営、そして従業員を大事にする(それはつまり、地域の経済活動及び地域の労働階級の人々を大事にしているということだ)マーケット・バスケットの方針(アーサー・Tの方針)は消費者にも高く支持され、ここの顧客たちはよそでは絶対買い物をしない、というほど英語でいうloyal(忠実)な客が多い。従業員と同じく、消費者たちも、アーサー・Sたちが率いる役員会がしたいことは、値段を吊り上げ、従業員への待遇を悪化させてこのスーパーをいずれつぶしてしまうだろう、と思っているからなのだ。たとえつぶれなくても、他の高いスーパーと同じになってしまえばマーケット・バスケットはその存在意義を失う。従業員たちにとっても、消費者にとっても、これは死活問題なのである。
ニューイングランド北東部に住む多くの労働階級の人々にとって、マーケット・バスケットは彼らの生活になくてはならない店だ。マーケット・バスケットを失うことは、彼らの生活に打撃を与えることを意味している。だからこそ、世論もほぼ100%従業員とアーサー・Tの味方であり、過去に被害者であったはずのジョージの遺族にはまったく同情が集まらないという奇妙な現象を生み出しているのである。
従業員たちが抗議行動をまとめて連絡を取り合い、宣伝するために作ったフェースブックページは6万人以上の「イイネ!」を獲得している。
州の政治家の多くも従業員たちの味方をしてボイコットを宣言。こうして騒ぎはいっこうに収束する気配を見せない。役員会は態度を硬化し続けており、今のところ和解する気配はみじんもない。高齢者や低所得者の人々は既にマーケット・バスケットでまともに買い物が出来ないことで悲鳴をあげている。
さて、この結末はどうなるのか…。私は普段そうしょっちゅうマーケット・バスケットでは買い物をしないが(家からあまり近くないので)、月に一度くらいは行くので、私も正直気になっている。私もアーサー・Tに戻って欲しいと思っている。マーケット・バスケットの集客力は彼の方針あってのことで、それがなくなれば、ローカルビジネスとして大成功しているこのチェーンも、あっという間に他の大手チェーンに呑み込まれてしまうだろう。そうなるのは悲しい。家族同士の憎しみもわかるが、ジョージの遺族はあまり強欲にならず、むしろ金の卵であるこのチェーンをアーサー・Tに任せていればいいのに、と傍から見ている人は皆そう思っている。しかし、家族同士の確執というのは理屈で割り切れるものではないので、しばらくはこのゴタゴタが続くのだろう。
最後にこのゴタゴタは、いずれ絶対映画化される…と思う。ハッピーエンドならコメディ映画に、苦い終わりならドラマ映画になるだろう、と夫と話しているが、さて、どうなるか。